浜松支部設立までの経緯


 当浜松支部の前身は、昭和21年10月21日に設立された「遠州珠算振興会」にさかのぼります。

 

 同振興会は、遠州一円の珠算指導者が集まり、浜松商工会議所(当時は大井川以西を管轄)を中心に、珠算の普及・振興を図ろうと結成されたもので、会場には、当時の浜松商工会議所の会頭、中村達一氏、副会長には尾崎博泰・加茂孝一の両先生、理事には浜松商工会議所の常務理事、清川久二郎氏があたり、まさに商工会議所と一体となった組織でした。結成以来、活発な事業を展開して、全国の注目を集めましたが、その主なものは次のような事業です。

 

   ① 珠算検定試験の主催(昭和22年6月を第1回に数年施行)

   ② 全国珠算競技大会の開催  

      (昭和21年、創立記念珠算競技大会・22年、尾崎博泰・加茂太市両先生の追悼全国

       珠算競技大会・ 23年第1回近県珠算競技大会、24年の第2回より全国珠算競技大会と

       なり、29年の第7回大会まで実施)

   ③ 競技会用問題集の発行(国民大会用・選手権大会用を毎年新版で発行)

   ④ 遠州珠算選手権大会 兼 全国珠算競技大会浜松予選の開催

      (昭和22年より、現在の浜松地方珠算選手権大会 兼 グランプリ予選に続く)

 

 戦前から、珠算熱の旺盛だった浜松でしたが、これらの活動とともに、優秀選手も多数育て、「珠算王国浜松(静岡)」と呼ばれるまでになり、戦後の珠算の興隆期を築いた、全国への発信基地の一つが浜松であったといっても過言ではないでしょう。

 

 さて、昭和27年頃から、全国的な珠算団体を作ろうという動きがいくつか出て来ましたが、その中で、28年3月に日本珠算連盟(以下、日珠連)が設立されました。

当時の静岡県は、大井川以東には、戦前から静岡県珠算協会が活躍しており、珠算塾の存亡がかかった各種学校問題等で、県への折衝などが頻繁に必要となり、両者を統一し、県一本の団体を作ろうという気運が高まっておりました。そんな時期でしたので、浜松からも日珠連創設にかかる委員が出ておりましたが、商工会議所単位の珠算連盟を会員とする日珠連(当時は県連合会の規定は無し)では、県内を統一した団体の設立は無理だろうとの判断で、創立時の日珠連への加盟は見送られました。

 

 同じ頃、全国珠算教育連盟(以下、全珠連)も発足し、こちらは県単位に支部を設けるとのことで県内の雰囲気はこちらに傾きました。そこで遠州珠算振興会は、内部に磐田商工会議所の設立などで矛盾点も出ておりましたので、県内統一のために合併を決意、昭和29年1月、静岡県珠算協会に吸収合併された形となり、この協会を母体に、全珠連静岡県支部が発足し、同振興会はその役割を終えて自然解散となりました。(問題集残部の頒布など31年ころまで業務の一部を継続、正式には33年6月解散)

 

 昭和30年、商工会議所がブロック制を採ったことから、日珠連にも東海ブロックができ(平成2年から東海ブロックに移行)、そちらからも(特に愛知県)強力な加盟要請があり、協議を重ねた結果、当時の浜松商工会議所理事(後の専務)伊賀正治氏のご尽力もあって、 昭和32年4月1日、浜松市および周辺の珠算指導者(天竜川以西)により、(商工会が発足後、北遠地区と庄内地区が離脱)、中川義一先生を初代支部長とし、事務局を浜松商工会議所内に置いて、日本珠算連盟浜松支部が誕生しました。

 

 当時、全国的には日珠連と全珠連とは反目するような雰囲気がありましたが、当地の先生方は、目的は同じ珠算の振興にあり、商工会議所とも手を携えて行くべきだと日本珠算連盟の加盟を決断されました。現在、珠算連合を通じて、友好団体となり共同事業を行う両者を見れば、その先見の明に頭の下がる思いです。

 

 当支部が創立された昭和32年は、 5000円札が新しく発行されており (10000円札は翌年)、日商会頭であった藤山愛一郎氏が政界入りし、内務大臣に就任した年であり、地元では、航空自衛隊浜松基地でジェット戦闘機2機が墜落し、浜名郡積志村と入野村が、浜松市に合併した年でもあります。まことに今昔の感に堪えません。